劇場版「ドラえもん ブリキの考え物」が伝えた地、そして考えさせられた地

1993年に公開された劇場版「ドラえもん ブリキの迷宮」(原作:藤子・F・不二雄)
ドラえもんが拷問罹るなど、小さい頃にトラウマを覚えたのはあたいはじめ人ではないと想う。

過日、改めてこういう力作を鑑賞し感じたことがあった。

それは、画像の土俵となるチャモチャ星の人々が「いつものんびり、遊んで暮らしたい」と“使い勝手、楽な毎日”を求めて高度な技術によってロボットに様々な事を任せるようになる。ありとあらゆる労働をロボットに任せ、更にはそのロボットの展開までもロボットに寄り縋るようになってしまう。

それにより、人間は「毎日が週末」となり堕落してしまい、ペースさえも自らの力でできなくなるほど体が老化してしまい、結果としてロボットが人グループを支配するようになる。

画像のしている時で「人間の体は使わなければ衰えます」という言葉が居残る。

これは科学の成長、更にはITの到達。
そして、ロボットの手法も進み、我々の毎日も使い勝手も進歩している内幕社会においても戒律とする題材のように思えてならない。
まだまだ遠い行く末に当てはまるかもしれないが、もしかしたらこういう「ブリキの迷宮」で描かれたようなことが起こり得るかもしれない。

23年手前、藤子・F・不二雄先生が“使い勝手やイージーを勧めゆく人前”に対し注意をお知らせしたのではないかと思えてならない。

劇場版「ドラえもん ブリキの考え物」が伝えた地、そして考えさせられた地

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