地元の日本刀入門講義がグダグダでいらっときた話を書き綴ってみたいと思います。

地元の大衆講話の津々浦々刀入門講話に参加したのですが、思いのほか仕込みが酷くイライラしました。

まず、2タームの講話で20分近所も侍の言葉やバックグラウンド(間近にはべるの古語の「さぶらふ」の音便工夫で侍になったとか貴族の守護を講じる北面の武士が源ですとか)に費やされました。
あんな初歩的話はの間大学生でも知っています。いまさら時間を割いて説明してほしくありません。
その時間があるなら一分でも長く刀の話しをやるだ。

次に用意されていたpowerpointがびっくりするほど見づらかっただ。
調節ディスプレーの通り経歴をしないで下さい。上部にいらっしゃる「横すべり舞台」の記事は見えないのでしょうか?
ディスプレーに面構えを近づけて説明するなら全ディスプレー表現にください。貴方が見づらいものは客席の当社も見づらいだ。
一ディスプレーに12枚も映像を加えるからそんなに小さくて見づらくなるんです。分けて下さい。

最後にターム配分がなっていません。
最初の余談が影響したのか、レジュメの半分も終わりませんでした。
最初の5つぐらいの項目は30分ぐらいでさらっと流して、年代によって少しずつ刀の形が変化してきた遍歴やその背景、また刀を鍛錬するときに必要な玉鋼を生産する釜は炭を焼く釜と違ってこんな捻りがなされているとか、そういう刀自体に関する話や、
有名な刀工に関する逸話、また号のついた刀に関するレジェンドなど聞きたい物語はいっぱい書いてあったのにその程度がまったくといって宜しいほど聞けなくてがっかりしました。

地元の日本刀入門講義がグダグダでいらっときた話を書き綴ってみたいと思います。

劇場版「ドラえもん ブリキの考え物」が伝えた地、そして考えさせられた地

1993年に公開された劇場版「ドラえもん ブリキの迷宮」(原作:藤子・F・不二雄)
ドラえもんが拷問罹るなど、小さい頃にトラウマを覚えたのはあたいはじめ人ではないと想う。

過日、改めてこういう力作を鑑賞し感じたことがあった。

それは、画像の土俵となるチャモチャ星の人々が「いつものんびり、遊んで暮らしたい」と“使い勝手、楽な毎日”を求めて高度な技術によってロボットに様々な事を任せるようになる。ありとあらゆる労働をロボットに任せ、更にはそのロボットの展開までもロボットに寄り縋るようになってしまう。

それにより、人間は「毎日が週末」となり堕落してしまい、ペースさえも自らの力でできなくなるほど体が老化してしまい、結果としてロボットが人グループを支配するようになる。

画像のしている時で「人間の体は使わなければ衰えます」という言葉が居残る。

これは科学の成長、更にはITの到達。
そして、ロボットの手法も進み、我々の毎日も使い勝手も進歩している内幕社会においても戒律とする題材のように思えてならない。
まだまだ遠い行く末に当てはまるかもしれないが、もしかしたらこういう「ブリキの迷宮」で描かれたようなことが起こり得るかもしれない。

23年手前、藤子・F・不二雄先生が“使い勝手やイージーを勧めゆく人前”に対し注意をお知らせしたのではないかと思えてならない。

劇場版「ドラえもん ブリキの考え物」が伝えた地、そして考えさせられた地

テレビのレポートの魅力・ウイークポイントについて考えてみました

チャンネルの通知の仕方についてだ。一つ目は現在、世のの場合を騒がしておるスマホアプリの「ポケモンgo」についてイラッとしました。こちらはやっていなくて、表通りの場合でそのレクレーションをやる人に出会ったこともありません。しかし、テレビジョンを見ていてニュースのほとんどが「ポケモンgo」についての通知だ。外国が先にやるので多少のトピックにもなっていました。しかし、こんな事までしなくてもいいのに、と思いました。それはチャンネルがわざわざ表通りの場合に出てポケモンを探しに行っていたことです。チャンネルがやると今まで人気なかった人も、決めると思ってしまう人が増えると思います。やるやらないはリバティーですが、一年中こういうトピックのニュースを見ていて更にイラッとしました。もう一つは先端1箇月、ニュースになった北海道の男児が行方不鮮明になってしまった実態の通知だ。男児が発見された場所に、わざわざ行って実際にそこで泊ってみた、ということをやっていました。ストレート、メチャメチャだと思いました。なのでそのニュースの続きは見ませんでした。現在、よく分から乏しいインタビューなどを講じるチャンネルが多くてイラッとしました。もっと意識方や順当を分かってほしいだ。やっぱり、しっかりとした通知をすることよりも観戦パーセントを少しでも高くしたいのかな、と思ってしまう。

テレビのレポートの魅力・ウイークポイントについて考えてみました